家族が余命宣告をうけてしまったとき、家族はどう受け止めればいいのでしょうか?余命宣告をうけたばあい、本人につたえるべきでしょうか。余命宣告をうけたばあいの家族の対応ポイントをお伝えします。
本人には伝えるべきか?
余命宣告を受けた家族がいたばあい、家族としてはどうすべきか迷うところではないでしょうか。ご本人をまじえて、ドクターから余命宣告があることもあります。そうでないばあいや、突然の余命宣告であったばあい、家族としては悩むところです。ご本人と家族の関係性によっても、ダメージが変化してきます。
例えば、高齢者の夫婦で二人ともいつのまにか、寿命を争っている状態であるとします。そのばあい、どちらか一方が余命宣告をうけ、それを相手から伝えられると屈辱的な気持ちになるのではないでしょうか。
また、お子様のばあいでも、兄弟で競争心の強い子供が余命宣告を受けてしまったばあい、それを元気な兄弟がいる前で伝えられると悔しい気持ちにかられてしまうかも知れません。
また、親子のばあいでも、あまり仲が良くなかったりしたばあい、余命宣告をどちらかからされてしまうと、やはり、悔しい思いが募るのではないでしょうか。
本人に伝えるということは大変なこと?
もし、ご家族に、一緒に病気と最後まで戦っていく決意があれば、ご本人に伝えることをおすすめします。余命宣告であるために、相手との関係性が逆によくなることもあるからです。ただ、伝えたからには、本人が余命を受け入れられるよう配慮していくことも必要です。精神科医のエリザベス・キューブラー・ロスによると本人が余命を受け入れるには段階があるそうです。時系列でご紹介していきます。
1.否認と孤立
家族は余命宣告どおりに、ことを進めていきます。一方、本人はそんなのウソだと認めないために、家族との間に溝ができる状態です。
家族としては、いつもどおりにふるまい、相手の気持ちを逆なでしないことが必要です。ですが、突き放すのではなく、よりそう気持ちで根気強くいることがポイントではないでしょうか。
2.怒り
どうして自分だけが余命宣告を受けなければならないのだと、怒りを感じる状態です。自分だけが死ななければならない、みんなは生きられていいななど、羨ましいという言葉をたくさん発するようになった時期は怒りの時期かも知れません。
家族としては、人は人生において、余命に関係なく幸せの量は同じなのだと伝えてみてはいかがでしょうか。
また、人は明日の命さえも誰も保証されていない(寿命は誰にもわからない)と伝えてみましょう。長生きしていても、辛い人生を送るひともいるということをあえて取り入れてみることで、自分だけが不幸ではないと認識してもらえるのではないでしょうか。
3.取引き
もし、病気をなおしてくれるなら、今までの悪さも全部悔い改めますから、どうか病気だけはなおしてくださいなど、治ることと、今までの自分の悪い行いを取引しようとする気持ちが芽生えてきます。命が惜しい、生きながらえたいなどの会話が多くなれば、取引の時期かもしれません。
ここ状況において、家族の活躍が期待される場です。余命宣告は一般論なので、余命宣告を受けていても長生きしている人もいます。毎日一生懸命なおろうとして、生活を続けていれば寿命がのびると信じていこうなど、余命に打ち克つ気持ちをご本人が持つことができるように励ます場所ではないでしょうか。
そんな神にすがるなんて、強い人だからと思われるかも知れません。
ですが、人は自分の命がなくなると知り、それが短い期間であると知れば、生きていたいと願うものです。そして、その願いはほぼ叶わないと知っています。ですが、生きていたいという願望は強くなるので、神にでも頼むしかないと思うのでは当然のことなのではないでしょうか。
4.受容
自分の人生を自分なりの人生観で客観視できるようになり、死を受け入れられている状態になることです。ここにいたるまでには、余命宣告を受けた人の辛い気持ちを、家族が分かってあげていることがポイントです。そっとしておいてあげたほうがいい場面もありますが、家族が死んでからもよりそってくれていると、安心できるように接することが必要です。
ただ、もうすぐ死ぬんだからと、今を頑張っていきようというような、思い出作り的な過ごし方をさせるのも、ご本人の希望があれば別ですが、あまりしないほうがいいかも知れません。あくまでも、いつも通りの自然な雰囲気をつくっていくことがポイントです。
1.から4.のすべてを認識させる必要はない
死を受容できれば、これほどご本人にとって、安堵する状況はないでしょう。ですが、人はそれぞれ状況や性格が違いますので、すんなり死を受け入れることは難しいのが実情ではないでしょうか。ですが、家族としては、1番最終段階である受容までを知っておき、その地点を本人が到達できるようにしておいてあげる、心の余裕が必要です。
家族が無理矢理に死への受容を説き伏せる必要はないでしょう。ご本人が受け入れられるサインを発したときは、察知し、受容までを導くようなスタイルを保つことがポイントです。
隠し通すなら最後まで
ひょんなことから、自分の余命を知ってしまうことがあるそうです。ある方のお父さんが余命宣告を受けられました。家族は全員伝えないことを決めたそうです。ですが、ある日、誰かが話しているのを聞いてしまったそうです。
それからというもの、黙っていた家族に恨みをもち、そのまま亡くなられたそうです。このような辛い状況にならないためにも、隠すなら隠し通す覚悟も必要のようです。