お葬式

余命宣告が子供に!?辛い気持ちの対処法ご紹介

子供が、急に病気の症状を親に伝え苦しんでいます。検査の結果、幼い子供に余命宣告が。子供の余命宣告は、家族にとって一番辛い出来事ではないでしょうか。余命宣告を子供に受けた場合の対処法について、お伝えしていきます。

 

子供に余命宣告~兆候を見逃さない

余命宣告が子供にふりかかってきた時の辛さは計り知れないものがあります。

  • 自分達よりも先にこの世からいなくなってしまうこと
  • 子供には将来があるのにそれを実現させてあげられないこと
  • 自分達が子供を失った時の悲しみ
  • 子供が病気の治療で苦しむ姿を見るつらさ

親は出来ればかわってあげたいと思うでしょう。余命宣告をされた親御さんの中には、もう少し発見が早ければと後悔される方も。例えば、脳の腫瘍で余命2ヶ月と宣告されたお子さんのケースです。子供は野球チームに入っていました。キャッチボールが出来ていたのにボールをよく落とすようになった、物が二重に見えるようになった、歩く時にふらつくなど症状を伝えている場合があります。ここで様子を見ないで検査をすることも対策の1つです。幼い子供は大人ほど物事を客観視できないので、死ぬことについて恐れを抱いてしまいます。もしも自分が死んでしまう、しかも1年以内に死んでしまうと知れば悲しみや寂しさから立ち直れないかもしれません。

10歳までの子供には余命宣告を伝えるべきではない

子供でも余命宣告をする家庭もあるようですが、余命宣告はする必要はないのではないでしょうか?

  • 幼い子供は死を受け入れるだけの気持ちが整っていない
  • 大人が捉える死よりも、数倍恐ろしい事として受け止めるのが子供
  • 親と離れてしまう事に対する恐怖
  • 親がつらいと思うであろうと、過大に推測する
  • もうすぐ死ぬんだから好きなことをしようと思うけれど、それは本心ではないはず

→死への恐怖を乗り越えて、生きる希望を見いだせる年齢になるまで、恐怖や不安から逃れることが出来ないから。

一度気持ちがパニックになれば、それを立て直すのが難しいのが子供です。子供が治療で苦しんでいて、本当のことを知った方が治療もはかどると思ったとしてもやはり、余命宣告はすべきではないと思いますがいかがでしょう?小学校高学年や中学生になれば、敏感な子は不安を理由に自分の病気について、本当のことを言ってほしいと聞いてくるかも知れません。ですが10歳くらいまでは、死ぬとは言わないで、子供の不安を取り除いてあげるのを優先することをおすすめします。

  • 決して悪い病気などではなく、治療は大変だけど必ず治る

親が治ると確信していると、嘘だと分かっていたとしても子供は安心するものです。このような時に浮気を出してくるのも何ですが、相手が浮気をしていることを知っていても、浮気していないと言ってほしいと願う気持ちに少し似ている部分もあると思いますがいかがでしょうか。死ぬんだろうなと思っていても、死なないよと親が言ってくれるのをどこかで期待しているはずです。

子供といる時間をできる限り沢山つくる

子供の余命宣告は、子供の年齢によって違ってくるとも考えられます。

  • 小学校低学年まで
  • 小学校高学年~中学2年生
  • 中学生3年生~高校1年生
  • 高校2年生~

高校2年生くらいになれば、自分の人生について深く考えたり、死ぬ前にこれだけはしておきたいと思う子供もでてきます。生前から、テレビのドキュメンタリー番組や、ニュースをきっかけに、もしも自分が死んだらという話のついでに、子供の意見を聞いておくことも準備の1つにできます。子供の気持ちを確かめるというよりは、もしも余命宣告された時の、ご自身の気持ちを伝えたついでに聞いてみるくらいにするのがコツです。もしも、子供が余命宣告を受けた時、孤独にならないために、子供の傍にいてあげることが必要です。長生きは出来なかったけれど、最後は楽しかったとなるように、子供が欲しいもの、食べたいものを治療で実現できなくなるまでに、叶えてあげることもポイントですね。ある女の子のお母さんは、もし自分の子供が余命宣告を受けた場合は、欲しがっていた服や食べ物を何でも買ってあげると言っておられました。子供には、余命がないから叶えてあげるのではなく、大変な治療を受けているご褒美だとよいうようにすればいいのではないでしょうか。

親が明るく子供の不安を取り除くことがポイント

一番悲しいのは、親ですが悲しみは子供に伝わります。親が悲しむと、自分が死んだことで親に迷惑をかけていると考えてしまう子供もいます。辛いですが、明るく子供に接するしかないようです。病気になったから、親とさらに仲良くなれた、いろんな願いがかなったと思えるようにしてあげることが、余命が少ない子供への最大の愛情表現ではないでしょうか。